[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
前回の記事からその後仕事のほうがとても忙しくなり、7月30日に5.0クリア、その後4日間でエデンN実装分クリア、10日メンテ滑り込みで5.2クリア。そして11日パッチアップデートの晩から朝まで掛けて5.3クリアしてきました。
今までもそうとう泣いたんですが、色んな「泣いた」が詰まっていて、感想がありすぎて感想が書けないという有様です…(文章力の低さを棚に上げる)
✤というわけで絵を描いてみました。
✤某シーンの自機の気持ちを考えてみたり。
と言いつつこのブログを書いた勢いでコメント欄に書いてきたり、後日切っ掛けを頂いたのでろくろ回してみたりしました。どちらもネタバレ注意。色々ありすぎたましたが、とりあえずここに集約されてしまいます私は。
あとは自ヒカセン観など。中の人のPSの低さ含めてキャラ付するなら、この”英雄”はかっこよくはないかもしれない。強くも上手くもない故にひときわ雄々しいわけでも海より深く慈悲深いわけでもない。いちいち起こる事に色んな事を想って心や体に傷を負って泣いて怒って喜びながら、その何もかもを受け止めて受け入れて前に進んでいくタイプなんだ、と思ったりしました…。同じストーリーを歩んでいても、自分がえらんだ戦闘ジョブやギャザクラ、ちょっとした行動と選択肢の違いも含めてそれぞれにそれぞれの物語が幾千と生まれて来るのはMMOならではだなと思います。そしてその一歩一歩の歩みの結果を評価して英雄だと言ってくれるなら、英雄を英雄たらしめてくれるのは出会ってきた人々であると。三国志も同じですよね…三国志はその時代そこに生きた”人生”が積み重なったもの。歴史という名の評価であり結果ですからね。
この素晴らしいゲームに出会えて本当によかったです。
多くのヒカセンパイが「全人類14やってくれ」「何も言えないが漆黒やってくれ」と仰られているのを見ましたが、ひとまずメインストーリーだけ最新まで終えた今、その気持ちが痛い程解ります…何も…何も言えない…何も言えないけど新生から紅蓮までしっかりきっちり歩みを重ねたうえで新鮮な漆黒をやって血吐いてほしい。
今はサブキャラのレベリングとメインのクラフター頑張ってます。
まだまだ冒険はつづきます。
紅蓮祭浮かれ野郎
めちゃくちゃ忙しいです
>> F F 1 4 が !!! <<
先のPFで幸いにも仲間を得て、5年間募った想いが今爆発しております… 憧れていた、漆黒のヴィランズにようやく差し掛かりました。
今はこれに掛かりきりですが、当然三国志を忘れたわけではありません。
数カ月〜数年単位で下火でも、いつまた火がつくか私にも解らない三国志熱です。
(▽6/28追記)
仕事も14も忙しい!
今、ン・モゥ族のお使いに走り回っています。
サブジョブ上げたり蛮族クエストやったりしてたので、進行じっくりになってます。
そういえば今日は漆黒アーリーアクセス1周年なのですが、まさか1年前の自分に「1年後お前も漆黒楽しんでるよ」なんて言っても信じないだろうなと。そう思うとご縁ってどこでどんな風に結ばれて成就するか本当にわからないですね…。
共に楽しんでくれている同時期に始めたヒカセンたちに改めて感謝しかないです。
(▽7/16追記)
相変わらず仕事と14が忙しい日々です。
最近は特に仕事が…なかなか14がすすまなくてやきもきしてます。
8月中頃に新型コロナで遅れてた新パッチがくるということで、
それまでになんとかメインストーリーをクリアしておきたいので少々焦ってます。
推しの命運がかかった内容になりそうなので、楽しみと怖いが半々。
今はアム・アレーン西部を走り回ってます。
仕事とPFAOSが大変忙しゅうございます。
(PF…pixivファンタジア。pixivで大体この時期に毎年開催されている長寿ファンタジー創作企画)
三国志熱もまだまだ熱いので、PF終わるまで絶やさないようにしたい!
この時期はどうしてもPFの季節という感じで、それに空いた時間の全てを費やしてしまう勢いです。そうしないと国とか世界とか推しNPCとかが死ぬかもしれないから…戦わなきゃいけないんだ…
家から送ってきてもらった二年前の落書き帳にいくつかネタが描いてあったので、それもちゃんとサイトに載せられるようなものに仕上げたい。
皇帝(霊弁献)のみなさま・曹操の娘たち(憲節華)・満寵・趙雲・徐州攻めの命令を下すシーン・臧覇が曹操に降るシーン・曹操の著書について …など。結構あるぞ楽しいな。
のんびりだらだらとやり続けて年数ばかり経ってしまい、一向に内容など濃くなるわけでもないのですが、自分なりに調べて考えて描いてするのが楽しいから誰に何を言われなくてもやるんですけど、それでもやっぱりモチベーションってのはあるわけでして。
勉強不足で妄想力不足で画力があるわけでも面白いわけでもないなぁ…と、よく簡単に自信失墜してしまうのですけど、それでもいいねしてくれたり好きって言ってくれる人が居て下さったりするので、有難いことに死なずに済んでます。
これからも自分のペースで楽しんでいきます!
見て下さってる方がもしいらっしゃったら、本当にありがとうございます。
(↑ クリックで拡大します。)
まだ途中ですがリスト復活!
サイトメニューの「Gallery」をマウスオーバーして頂くと「List」がでてきます。
何年前なのか…7,8年前かもしれない…新旧絵柄が入り混じりすぎて、流石にリニューアルしたいなと思って一旦消したんですよね。まさか2020年まで放置する事になると思わなかった。
前リストに使ってた絵を下地にして、色は背景・目・軍印だけなのでサクサクです。でもあとウン十人描かないといけないので頑張ります。今回こそ頑張ります。
頑張っといたら次の大波が来た時の私が助かる&楽しい!頑張って今回の私!
旧リストの並びの都合上、このメンツの中に突然の尹礼なあたりウチだなぁという感じがして少し面白い。尹礼さんと呉敦さん字不明なんですよね…なんかいい感じのを捏造してみようかな。
群雄・他でもよかったかなーカテゴリ
というわけで久々の臧覇さん。
ちくまの正史にはソウハってルビふってあるんですけど、ずーっとゾウハって言ってるのでこのまま貫きます。
推しオブ推しなのに絵がなんでか少なかったので気になってました。やっと描けた。
孫観・呉敦・尹礼・昌豨たちのデザインも一応決まってるのでまた全員こんな感じで臧覇軍(一味っぽいイメージがなんとなくあるけど「軍勢を集め」って陳寿のに書いてあるので軍と言いたい)時代と曹操軍時代と並べて描きたいです。
改めて推しになった理由なのですが、某漫画に突然出てきて気になって調べたんです。なんでこんなおいし…すごい人が埋もれちゃってるの!?となって、調べるうちにどんどんハマっていって、今に至ります。
演義の呂布軍麾下の八健将もかっこいいけど、やっぱり正史の独立勢力の首領やってる臧覇が良い!
という訳でちょっと調べ直してみたので残しておきます。
呂布率いる呂布軍を退却させたくだり。
〈陳寿・三国志(呂布伝)〉
蕭建を味方にしようとした際に手紙を送ったと書いてある。(後漢書には書いてない)
莒城を攻め落とした臧覇に怒って呂布が攻めてきた。(このとき高順に諫められたが、聞き入れなかった)折角攻め落とした莒城とその蓄えを呂布に乱暴略奪されることを恐れて、城壁に登り応戦。呂布はこれを攻め落とすことができなかった。臧覇はのちに呂布と再び和睦したという。
あの呂布を退けたのは単純にすごいと思う。
この時どれくらいの人数vs人数だったのかとか、莒城がどんな城なのか詳しく記述がないので解らなかったりするけど、戦が上手か下手かと言えば間違いなく上手い方だろう。この後の活躍を見ても。
臧覇軍は呂布軍と同盟関係にあった。その後は…
〈陳寿・三国志(臧覇伝)〉
には「兵を率いて呂布を助けた」と書いてある。
その後呂布が敗死すると逃亡し身を隠した。
曹操は懸賞金をかけて(公募して)臧覇を捕えさせたが、会ってみたところ臧覇のことを気に入ったため、臧覇に命じて呉敦・尹礼・孫観・それに孫観の兄孫康らを自らの元に招かせた。
臧覇が彼らに促すと皆曹操に帰順して、太守や国相として採り立てられた。
臧覇も琅玡国相に任命され、青州・徐州の統治を実質的に委託(委任)された。
〈陳寿・三国志(武帝記(曹操))〉
には「臧覇らはすべて呂布に付き従っていた」と書いてある。
呂布が敗れると臧覇らを捕虜にしたが、公(曹操)は手厚く待遇した。青州と徐州に海岸地帯をつけて割いて彼らに委ねた。(臧覇たちがいた莒城は徐州琅玡国にある)
このまま臧覇たちに任せるのがいいだろうと思ったのだろうけど、気に入りすぎじゃない!?と思ってしまいます。曹操あるあるだけど。敵意があって敵対してた感じではなかったのが、会って話してみて分かったのでしょうか。その後の事も考えると臧覇や臧覇に従っていた者達を、曹操が一方的に気に入ったというより、お互いの度量の広さを感じて馬が合ったのかなと想像すると笑顔になります。
〈後漢書 巻75(呂布伝)〉にも臧覇がでてくるのだけど、こちらはまだちゃんと確認できてません…。あと〈英雄記〉にもあるのかな。信憑性薄とよく言われてるけど。
曹操軍麾下になって以降。曹操~曹丕~曹叡の時代まで仕えた。
他にも劉備・孫権・呂布・張遼・于禁・夏侯淵・張郃…あたりの有名どころと絡みがあったりしておいしい。
この辺りのことはまた後日、調べ直しと纏め直しをします。
曹操の部将にちゃんとなったのは205年頃なんじゃないかなと思っている。それまでは曹操の部将というよりは独立勢力を保っていたっぽい気がする。
(臧覇が劉備に「私がよく自立(独立勢力?)できているのは、そのような(亡命者を裏切るような)ことをしないからです…(以下略」と言っている)
曹操の廟に祭られた功臣20人の中にも入ってたりする。名将。
…青州兵の件は調べて噛んでみてもどうしても解せない…
でもまぁそれも含めて。
あれは曹丕だったのが相手が悪かったんじゃないかな…
演義でもっとヤバイ改変くらってる方々がいるので、なんだかかっこいいポジションに就かせてもらってるだけでもかなりマシなのですけどもね。それこそ正史で臧覇に攻められて城を追われた蕭建なんかは、臧覇がそもそも呂布の部将なせいで存在自体が消えてますし。でも曹叡の時代まで生きたのに消えるのが余りにも早すぎたりして勿体ない。やっぱりちょっとだけ……といわず色々言いたくなってしまうのでした。臧覇もっと評価されて!
日常ごと趣味ごとを中心に、思いついたことを綴るブログです。創作三国志は、お遊びキャラ絵が中心で、あまり熱心に語ったりはして居りません。サイトへはリンクよりどうぞ。© 2005-2024 by 慈之(meguno)